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【神保町の生活史 #5】お会計しようと思ったら奥から店主が出てきて、よかったらここで働かない?って

  • 執筆者の写真: 神保町 ふらっと
    神保町 ふらっと
  • 9月28日
  • 読了時間: 40分

__大学時代を神保町で過ごされたということで、スヰートポーヅでアルバイトをされていたとか。今は大阪にお住まいなんですよね。


 そうです。


__私も前は大阪に住んでいて、この2年ぐらいで東京に出てきて。なのでスヰートポーヅさん、上京したころにはもう閉まっていて。建物の外観はなんか写真とかで知ってたんですけど、1回も行けずで、そんなかんじです。じゃあ、お生まれは、関西ですか?


 いや、生まれは東京、北区っていう。今大阪に住んでるのは仕事で、転勤で住んでいるので、元々関西っていうのはそんなにっていうか、まったく縁もゆかりもないとこなんです。


__そうなんですね、北区、どの辺りとかなんでしょう。


 北区の西ヶ原っていう南北線の。大学卒業するまでは東京にいて、会社入って、まぁ後で説明しますけど、甲信越地方の支局に3年間いて、で去年、一昨年から大阪ですね。


__支局の方もあったんですね、後でお願いします。子どものころはどんなかんじでした?


 西ヶ原って住宅街で、別に赤羽とかと違って何があるってわけじゃないんですけど、そこで生まれ育ち、んで子どものころはなんていうか、一人っ子なんですけど、なんで兄弟いないんで、近所の友達と遊ぶほうが多くて、もしくは一人でふらふらしてるみたいなのが多かったんですけどね。小学校、そうですねえ、あれですか、どれぐらい細かく話してったほうがいいですか。


__もうなんか話したいことというか、思い出したことをつらつらと言っていただけたら楽しいと思います。


 そうですね、小学校も普通に近所の区立のとこに行って、サッカーやってて、で中学校は、家から本当歩いて2分ぐらいのとこにある区立の中学校行ったんですけど、中学校も最初サッカー部に入ってたんですけど、なんか、サッカー部なのに11人いないっていう事件が起きてですね。


__へ、都会の学校なのに。


 そうです、都会の学校なのに、なんかサッカー部が人気がないっていう。当時、バスケ部とかが一番人気あったのかな。あれですよ、1年から3年生まで合わせて11人いないんですよ。だからもう公式戦がなかなか成り立たないような状況になってきて、でなんかもう廃部になるんですよ、1年生で廃部になるんです。あと2年間、じゃあ部活何しようかなってなったときに、小学校のときから仲良かった友達が剣道部にいて、そいつが剣道部来ればっつってくれたんで、剣道部に入り、で高校まで剣道やってたんですけど。いや、サッカー部11人いないっておかしいじゃないですか(笑)。


__入ったのが勇気ありますね(笑)だって入る前から分かってたんですよね。


 いやそうそう、人数少ないのは分かってたんですけど、さすがにもうちょっと入るだろうと。下ももうちょっと入ってくるだろうとかって思ってたんですけど、まさかのなくなるという。


__小学校で一緒にサッカーしてた子達も入らずですか。


 そうですね。受験して違う中学校行く子もいたりとか、同じ中学行ってもなんか違う部活入ったりとか。で剣道部に入ってから、剣道部もそんなに人数いなかったんで、なんかわりとすぐ試合に出れるようになっていて。高校でも続けようと思って剣道部のある高校を探して、自分のその学力とももちろん照らしてですけど、高校は目黒区にある都立高校に進学したんですね。北区からだと本当に、山手線を半周して通ってたんで、1時間ちょっとぐらいですかね、かけて通ってて。


__東京って、高校ってなんか区とかあるんですか、選び放題なんですか。


 昔はあったんですけど、僕らが高校受験するころにはもうなくて、東京都民だったらどこの学校でも行けるっていうことに一応なってる、あとはもう通う気力があるかどうかっていうだけの話なんで。


__じゃあ、けっこう、本当にいろんなとこに散り散りというか。


 そうですね、だから同じ中学から同じ高校行った子はいなくて、同じ中学どころか北区に住んでる子が学年でもう一人いたかなぐらいなかんじ。世田谷とか大田区とか、目黒区ももちろんですけど、そこら辺に住んでる人が多かったですね。でそのときに、山手線を半周して通うんで、遠い。遠くて大変なんですけど何がいいってその、定期で池袋、新宿、渋谷に行けるっていうのが、それがなんていうか、東京の、23区の半分だけですけどね、ものすごく、自分の行動範囲が広がった一つきっかけではあって。目黒区の学校にしたのも、その剣道部があるとか、学力的になんかちょうどいいとか、そういうのももちろんあるんですけど、それ以上にやっぱ、北区に何もない(笑)。ちょっとなんか、都会の学校に行きたいっていうのがあって。なんかおよそこう、東京都民、23区に生まれ育った人間があまり思わない感情だと思うんですけど(笑)。で目黒区の、東横線の祐天寺の駅まで、なんか渋谷とか、代官山、中目黒とか、ああいうちょっとおしゃれな街に行きたいみたいな。その地元ね、北区西ヶ原も今思えばもちろんいいとこなんですけど、当時はなんか本当に住宅街で、だだっ広い公園と商店街とみたいなかんじで、なんもないなこの街みたいに思ってたんです。だからいったんいわゆる東京のおしゃれな街に繰り出すっていうのが、高校生でしたね。


__子どものときは、家族とかともやっぱり地元のほうが多いというか、街に出るっていうのは、あんまりないんですか。


 父親が結構仕事が忙しくてあんまり家にいない人だったので、別に土日が休みな仕事でもなかったので、ね、日曜日に家族でどっか出かけるっちゅうのも、あんまりってかほとんどなかったですよ。母親とどっか出かけるっつっても、池袋ぐらいが都会の限度みたいな。そうっすね、それぐらいなかんじでしたね。


__ちょっと距離がある場所だったんですね。初めて都会に出てみたときの、最初の思い出とかあります?


 高校のときにってことですか?まあ、もちろん受験のときに1回行くわけじゃないですか。でそんときに渋谷の駅で乗り換えをするのに、とんでもない都会だなって思いましたね。いわゆる閑静な住宅街で生まれ育ったので、東京23区内とはいえ。山手線から東横線に乗り換えて通ってたんですけど、今、渋谷の東横線って地下に駅がある、あれが昔は地上にあって、地下鉄と繋がってなかったんですよ。でそれがちょうど僕が高校1年生の終わりぐらいで直通するようになって東横線が地下に潜った。そのころからあの辺の再開発が、東横百貨店がなくなったりとかヒカリエができたりで、なんかものすごく、街が変わっていく時期で。どんどん新しいビルが建っていくっていうことにもなんかすごいこう、いちいち感動してたんですね。まぁ、山手線から東横線乗り換えるのは地上の方が早くて、楽は楽なんですけどね、始発だから座れるし。全然最近行ってないんで分かんないですけど、昔の地上にあった東横線のホームの一部分、ちょっとなんか残ってるみたいな。で、本当にこう毎日の通学が、なんか都会に出かけるみたいな気分で。高校入って友達できて、じゃあ学校終わってとか土日に遊ぶってなったら、もうやっぱり待ち合わせは渋谷なわけです。そうすると友達は目黒区とかに住んでるからなんか慣れてるんですけど、一人北区からのこのこ、遊びに繰り出してましたね。


__うらやましい。何するんですか、渋谷で。


 そうですね、渋谷で遊ぶっつっても別に高校生だから金もないんで、何してたかな、なんかタワーレコードの渋谷に行ってCD買ったりとか、まだね、どっちかっていうとCDがちゃんと売れてる時代。


__たしかに行ってましたタワレコ、高校生のときって。


 ですよね、そういうかんじでした。高校3年間は剣道部を一応まっとうして、で大学は今度、あれだったんですよ東洋大学って分かります?


__聞いたことあります。


 神保町からちょっと北に上がって、後楽園とか水道橋越えてもうちょっと行ったとこに三田線の白山って駅があってそこが最寄り駅なんですけど、東洋大学というところに入学してしまったんですね、そこしかなんかまともに受かんなかったみたいなとこもあるんですけど。本当はこう、明治とかね、青学とかねそういうこうちょっとこう都会の、また都会の学校を目指してたんですけど、東洋大学っていうなんか文京区かみたいな、なんか微妙な立地のところに通うことになって、んでいかんせんその都会に遊びに行きたいという動機で高校を選んでるんで、逆に今度、大学が家から2駅になってしまったんです。


__そんなに近くなるんですね。


 1時間かけて高校通ってた人間が、なんか15分ぐらいで着くようになってしまって、で、いやーなんかそうすると、山手線の半周分を毎日の行動範囲としてた人間が、もうなんか半径5キロぐらいのかんじに、ぐっと狭まって。んで大学入ったんで、じゃあアルバイトしようってなったときにその、そう大学は文学部に入って、文学部のなかでも日本文学を専攻する学科があってそこに入ったんですけど、それもあって、まあまあ元々、本は好きだったんですけどね。うん、でだから、バイトを探すってなったときに、大体大学生がバイトするときって、家から大学のあいだとかで適当なところを探すのが多いのかなと思うんですけど、いやこれはもう、この2駅の行動範囲がなんか狭まっちゃった、こっから脱したほうがいいなと。でだったらなんかこう、交通費をちゃんとくれて、家から大学の距離の外に出るような場所で探そうと思って、どうせだったら、まあ大学入ったときは多少勉強する気持ちもあったんで、その本屋さんがいっぱいある神保町だったら、その本を買いに行くついでにバイトもできる、で交通費も出るみたいなかんじで。神保町でバイトを探し始めたのが、神保町に習慣的に通うようになった最初ですね。


__それまでは、神保町に行かれたことはそんなになかった?


 行ったことは何回かあったんですけど、でもそうですね、行ったことあって、本屋さんがたくさんあって、自分の大学で勉強している分野の本がね、あるのは分かってたんで。で、だから、神保町にしようと思って決めたのが始まり。最初のバイトっていうのはスヰートポーヅじゃなくて、すずらん通りにチェーンのカフェがあるの分かりますか?あそこが最初だったんですよ。大学1年の夏前ぐらいかな、から始まって、当時時給が950円とかだったかな。大学から神保町も電車で1本で行けるし、家から大学も。家から神保町は何回か乗り換えしなきゃいけないんですけどね。


__最初のころはカフェでバイト。


 結局でもなんか、在籍というか、ちゃんと4年の最後まで働いてて。


__カフェでもですか?


  そうですそうです。そのそこがね、またすごくてですね、とにかく人が足りないんですよ。お昼どきとか、意外と結構忙しくて。で、ただ、その、びっくりするのが、常駐してる社員の人がいないっていう(笑)。全員学生か主婦のバイトっていうかんじで。大学ね、1年で入ったときはもちろん一番下で最初はそんなもんかと思ってたんですけど、だんだん学年が上がって、先輩方が抜けて下が入ってきてっていうののなかで、これ、店回ってないのかっていう瞬間が何度かあってですね。大学3年か、になって、1個上の先輩は就活とかでだんだんシフトには入らなくなって主婦の人もね、いなくて、学生とフリーターしかいないみたいなかんじで、自分が一番歴が長くなっちゃったんですよ。そのときにもう、シフトを作るところまでやらされて、食材の発注とかまでなんか全部やってて、なんていうんですかね、大丈夫かこの店みたいな、だんだんなってきて。カフェのバイト自体は楽しいんですよ。コーヒーいれて、接客してっていう作業自体は楽しくやってたんですけど。 大学授業終わってから入るんで、夕方から、夕方から閉店、片付けまで入るっていうのが多かったんですけど。なんていうか固定したお客さん、毎日来てくださるような方とだんだんこう顔馴染みなって、なんか立ち話したりとかね、結構。そうするとなんかこの人どこどこ書店の人だなとか、だんだんこう街の顔っていうか、が分かってくるようになってって。店の外、すずらん通りでも靖国通りでも歩いててなんかすれ違ったらどうもみたいなかんじになってきたんです。で、もちろんバイトするっていうのは、そのね、遊ぶお金、大学で実家に住んでるんで、別にそんなに家賃とかなんとか、生活を切り詰めたことは当時なくて、自分が遊ぶ分のお金を稼ぐためにバイトに行ってるんですけど、でもなんかそのね、休憩の途中にさぼうるとか小宮山書店の地下の伯剌西爾(ぶらじる)さんとか行ったりとか。授業終わってシフトの時間に入るまでの間にこうだーって本屋さん行って本買ったりとか。今ね三省堂も建て替えてますけどね、昔の三省堂で。本当に、靖国通りとすずらん通りはなんかもう目つぶってでも歩けるぐらいなかんじに。ほぼ毎日のようにぶらぶらしてたんで、お店に来てくれる人もいれば、逆に自分がお客さんとして行く、で仲良くなるっていう人たちもいて。だんだん神保町にだんだん馴染んでいく。お客さんでよくしてくださる方もいたりとかして、なんかああいうチェーンのカフェの常連さんと、終わってから飲みに行くとか普通あんまないじゃないですか。なんかそれを結構定期的にしてて。今日何時まで?とかって、今日夕方で終わります、じゃあ行くかみたいなかんじで、連れてってもらったりとかしてましたね。


__チェーンのお店でバイトしてて、そんなやりとりできるっていうのがすごい、なんかなかなか、システム上難しそう。


 それは多分、神保町にあるチェーン店だからなのかなという気もしてて。もちろん神保町、個人経営の喫茶店とかいいお店いろいろありますけど、そんなかであえてチェーンのカフェにこう、来てくれる、でその人たちもやっぱ神保町で生活してる人たちなので、いろんな人いましたね、書店の人がやっぱ多いんですけど、書店も、書泉グランデってまだありましたっけまだあるか、ブックマート、書泉ブックマートっていうのがあったんです。駿河台の下の交差点で、昔の三省堂があったところの1個東かな。今、ABCマートになってるとこが書泉ブックマートっていう本屋さんで、そこの方も来てるし、新刊書店の方も来てるし古本屋さんも人もいるしで、あと飲食店やってらっしゃる人とかいろんな人がいて、神保町コミュニティが。


__おもしろいですね。裏口じゃないけど、そういう人たちが憩いの場として来る場所だったんですね。


 すずらん通りにあるセブン-イレブンのおじさんとかもよう来てました。


__なんだかいつも人手が足りないところにいますね(笑)で、居続けるんですね(笑)。そういうとこって結構見切りをつける人もいると思うんですけど。


 そうなんですよ、なんだかんだいれるだけいて。なんなんですかね、なんかそんなにこう、義務感があるわけではないんですけど(笑)、これ今抜けたら本当に崩壊するよなっていう場面もなんかあるじゃないですか。そうするとなんかな、それでだらだらとね、いるんです。


__そんなリーダーシップってか、俺がなんとかしなきゃってほどではないけど?


 ほどではないけど。大学生はバイトの仲間とも終わって神保町で飲んで帰るとか、やっぱり神保町のカフェで働いてる他のバイトのメンバーも、やっぱり明治とか日大とか専修とかあの辺、共立とかあの辺の学校。同じ大学の子も下の年には結構いたんですけど、大体あの辺の大学に通ってる人たちが多くて。授業少ない日とかだったら、神保町にいる時間のほうが長いような日ももちろんあるんで。 んでかれこれ、大学1年生からカフェでバイトを始めて、2年3年と経って、3年生の7月ぐらいかな、のときに多分カフェの休憩だったのかシフトに入る前だったのかちょっと忘れたんですけど、お昼食べようと思って、スヰートポーヅに初めて行ったんですよ。そしたら、あそこってこう入口から縦に、奥に長い建物だったんですけど、引き戸をこうがって開けて入っていらっしゃいませって言ったおばちゃんが、いつもカフェに来てるおばちゃんだったんです。あ、この人ここで働いてたんだと思って、入ってから分かったんですけど、スヰートポーヅ終わって毎日カフェでコーヒー飲んでから帰るっていう習慣だったんで、もう毎日ほぼ決まった時間に来ていつも同じものを注文される方だったんで、そのこっちもなんか印象に残ってたんですぐ分かって、んで向こうもあぁあそこのカフェの、みたいなかんじ、どうもどうもって話して、でそこで初めてスヰートポーヅの餃子を食べて、いや本当すごい、すごいおいしいんです。写真とか、見たことあります?


__なんか形が独特?あともちもちの水餃子?もなんか。


そう、焼き餃子はひだで包んでなくて、棒になってるタイプのやつなんですけど。食べて、お会計をこうしようと思って、レジがね、そう、縦に長い店なんでね、入口からこう6席あんのか。そう3席2列で6席なんですけど、があってその奥が調理場なんです。で、その調理場と客席の間にお会計レジがあって、お会計しようと思ったら奥から店主が出てきて、よかったらここで働かない?って。や、まああの、本当気が向いたらでいいからつって紙に携帯の番号と名前と書いて、はいって渡してくれて。その、いつもカフェに来てくださってるスヰートポーヅで働いてた方が実はもうすぐそこ辞めるって話になってて後を探してたんですちょうど。そんなときにふらっと訪れて、でなんかこいついつもあそこで働いてんなあつって、多分ね、そこは分かんないですけど、ちゃんとというかそれなりに働いてんの、多分毎日見てくださってたんですよね。なんでこいつなら大丈夫だろうっていうことで、言ってくださったと思うんですけど。でなんかいやそんな急に言われてもみたいな、ちょっと、か、考えますけどみたいなかんじで、いやどうしようかなと思って、でもわりと早い段階で2、3日ぐらいでもうやろうと思って、働くことにして。決めた理由もいろいろなんですけど、なんか大きい会社のチェーンの仕組みというか、実態をある程度知ったところだったので、個人経営のお店でこうなんていうの、世の中をね、見てみるのもいいかなと思って。でしかも、それが神保町で戦後すぐからずっとやってるような店なんでそれはもう、行かない理由があんまりなかったぐらいなかんじで。その、カフェより時給がいいっていうのももちろんあるんですけど(笑)。渡された紙に、書いてある携帯に電話して、働きますって言って、でじゃあ一応面接しようかみたいなかんじになって。んであそこ行ったんすよ、ラドリオに行って面接をして、面接っつっても、じゃあよろしくみたいな顔合わせみたいなかんじなんですけどね。でそっからスヰートポーヅで働き始めて、でもカフェもたまに行きつつ。


__すごい。どっちも。


 そうですね、調子いいときは、調子いいっていうか夏休みとかね、朝何時に行ってたかな7時、8時か、スヰートポーヅ行って、夕方4時までいてその後5時からカフェ行って、11時までやってましたね。スヰートポーヅで1回私服に着替えるんじゃなくても、カフェの制服に着替えてそのまま走って行く。そんなかんじでしたね。


__店主とは、その支払いのときが初対面なんですよね。


 よく誘ったなと思いますけどね。すごいいい人だったんですけど。で、そのスヰートポーヅが、なんていうか、やっぱり個人経営の店なんで、チェーン店とはもう180度違う。チェーン店はやっぱり商品発注すると、工場で加工された、切ってある野菜が袋に入って届く、大体そういうもんじゃないですか。だけどやっぱりスヰートポーヅは、毎日八百屋さんが来る、お米屋さんが来る、お肉屋さんが来るっていう、取引きしてるところもやっぱ神保町で個人でやってらっしゃるようなところで、酒屋さんなんかもそうですけど、さくら通りの酒屋さんが入ってて、で毎日こうビールケースを自転車に積んでくるんですけど、なんかそういう、カフェでお客さんと話してて神保町の人と馴染んでったんですけど、もっとそれが深くなる、濃くなるような。で、もちろん全部手作りなんで、皮を伸ばすところから、なんか、焼き餃子と、水餃子と、あとそのポーヅっていうのがあって、肉まんのちっちゃいやつみたいなかんじなんですけど、で朝、その伸ばすのを僕がやらせてもらってて。多分、前の日の晩とかに、粉と小麦粉とね、水合わせてこう生地は作ってあるんですけど、それをこう分量ずつにちぎって、丸めて、それを伸ばすっていう作業で。伸ばして、それに餡をのせて包むっていうのを毎日お店が開くまでやってて、お店が開いたら中と厨房を手伝いつつみたいなかんじでやってました。


__すごい。餃子を包む、プロの手つき、あれができるんですね。


 最初はボロボロでしたけど、だんだんね、慣れてくると、早くできるようになるし、綺麗にできるようになるし。朝8時から夕方4時までなんですけど、1日にその2回まかないが出るんですよ。お店開く前に早めのお昼ってかんじでみんなで、あんときだから、ん、僕入れて3人と店主で大体いつも営業してたんですけどみんなで、ご飯とお味噌汁はお店で出してるのと一緒で、で毎日魚を焼いて、その日によってしゃけだったりなんだりするんですけど、それをみんなで食べてから店が開くっていう。家族感のあるかんじで。んでこんど昼の営業が終わると、昼のまかないは餃子なんですよ。ご飯も炊いてあるのを好きなだけ食べて、なんていうか、文字通り食べさせてもらってますみたいな。


__一度に働いてるのが4人ぐらい。それが何パターンかあるんですか?全体で何人ぐらい。


 ランチの営業の人、夜の営業の人っていうかんじなんで、だから、僕以外は正社員というか、毎日働いてる人たちなんです。他の人たちはもうみんな、主婦の人もいれば大体40、50、60ぐらいのお姉様方、お兄様方でしたので、20代ってか大学生は僕だけだった。


__すごい大抜擢。


 そうですね。平均年齢が一気に下がったっつって。


__カフェあたりから結構、大人の人たちとの関わりがある。


 そうですね。そのスヰートポーヅで働いてるときもまた、カフェのお客さんから最近見ないけどどうしたのって言われて、いや実はあっちで働いてるんですよね最近みたいなことを言うと、じゃあ今度行くわって来るんですよ、どうもどうもって。でスヰートポーヅのお客さんも増えていくっていう。それが大学3年の夏なんで、スヰートポーヅで働いてたのは本当だから1年半とかそれぐらいになっちゃうんですけどね。




 お昼どきがも__お店はいつも大賑わい。うすごいですよ。土曜日、ん、日曜日、もなんか隔週で営業してたんですよ、毎週じゃなくて。土日はまた違った混み方をするんですけど、やっぱお昼どきの賑わいはすごいですよ。土日はどっちかっていうともうなんか昼からちょっとビール一杯飲みながらこうゆったりするっていうような人もね、結構多いんで、それはそれでいいんですけど。


__本当に、お店の中とか、一度見てみたかったです。


 この間、11月の10日ぐらいか、ちゃうちゃう祝日だったから、23かな、の日に神保町行ったんですよ一人で、したらなんかもうね、更地になっちゃっててね。なんか更地になったっつうのは誰かから聞いてたんですけどね、まだ更地のまんまで、なんかまだ意外と建たない。あそこなんかね、いい場所だったからすぐ建つかなと思ったんですけど、意外とまだ更地のままなのねと思って。でもこう更地になってるの見ると、やっぱり狭い、奥行きある建物だったんだなって。てか変な構造の建物だったんですよ。一軒でろしあ亭さんと半分だったんですよ。縦にこうなんか割ってたんで、本当なんか鰻の寝床みたいなね、なんか変な構造の店だったんですけどね。


__なんかそんな写真見たことある、外観がなんか、半分感ありました。


 半分なんですよ、あれ。あの建物自体が、戦後すぐぐらいできたっていう話を聞いてまあまあそもそももうボロボロっちゅうか、結構限界だったんですけど。


__なんかこう、上のほうに休憩する部屋とかあるんですか。


 ありますよ。2階建て、違う3階、もあるかもしんないですけど多分資材置き場みたいなかんじで上がったことなくて、3階なかったかないや、あったと思うな。


__厨房から上がるんですか?


 厨房とその客席の間に、本当これも狭くて急な階段があって、こうバーっと駆け上がっていくと、2階にその、皮を伸ばす機械があるんです。上は上で粉まみれっていうか、まっちろになってんすよ、その、皮伸ばす機械の奥側に、ロッカーというか、荷物とか、狭い店なんで上下に使わないと、荷物を置けないようなかんじで。


__ちょっとそこで仕事終わって休憩したり、みたいな。


 そうですそうです。


__いいですね。


 皮を伸ばして、餃子を営業中も作るんですよ。上で仕事してる人も1人。夜の分を一応作ってくれてるんですけど、でもやっぱ昼間足りなくなるともらうみたいな、木のケースにばーって並んでるんですけど、それを何段分くださいって言って、降ろしてもらったりとかやってましたね。11月の古本祭りの期間がやっぱ一番。カフェもスヰートポーヅも一年で一番忙しい時期で、それこそ靖国通りが一応メインじゃないですか。だけどすずらん通りでもなんかこのワゴンセールみたいの、11月、2日間ぐらい土日にやってるんですけど、あのときが一番大変でね、スヰートポーヅはわりと土日なんかお客さん並んでくれてるような店だったんで、何に並んでる列なのかもよく分かんない、ぐちゃぐちゃになっちゃってね。


__年に一番盛り上がるんですね。店主の方との思い出とかありますか。


 やあ、すごいね、いい方だったんですよ本当に、なんちゅうかね、職人気質なんですよ。いや別にめちゃくちゃ怖いとかじゃないんですよ。けどやっぱりこう、こだわりをね、ちゃんと持ってやってる人だったんで、餃子の皮なんかも、やっぱりその日の気温とか湿度とかによっても、全然やっぱり同じ分量でやってても違うんで、それを細かく見ながら水の量とかを調整してて。それでもう、メニューは、焼き餃子、水餃子、ポーヅだけ。ご飯とかありますけど、余計なことはしないみたいな、そういう人です。


__皆さんで、なんか、仕事終わりに交流とかあったんですか。


 そうね、年に2回、忘年会と夏ぐらいなかんじで、でもそのね、店主の人もね、あんまり、ほとんどお酒飲まない人だった。むしろね、店主は夜も営業しなきゃいけないから来ないんですよ。昼のメンバーだけで終わってからちょっと行くかみたいなしてました。


__神保町ではどこら辺で飲んだりしてたんですか。


 神保町からあっち、御茶ノ水に上がってくあたりに、なんか今もうなくなっちゃったんですけどなんか安い焼き鳥屋さんが。カフェのメンバーとか学生だけで行くときはそっちに。やっぱ御茶ノ水まで行ったほうが大学が、明治とかがあるんで、安い飲み屋がどっちかっていうと増えるんですよね。神保町から逆に南に竹橋とか大手町のほう行くと、ちょっとね、値段がやっぱ上がってくる。だからなるべく上のほうに行ってました。


__本当に大学は神保町でバイトの日々だったんですね。いやあ。食べたいです。


 未だに家で再現してね、作るんですよ。皮はね、さすがに市販のやつを買ってくるんですけど、味付けはなんとなくそれっぽいかんじできるんですけどね、なんか違うんですよね、ひき肉っていうか、肉が、スヰートポーヅの肉ってちょっと荒めにひいてあるんですよ。ミンチにしてるんじゃなくて叩いてるようなかんじの粗さがあって、そこはその食感がやっぱり違うんですよね。


__毎日餃子食べてたんですもんね、お昼は。


 そうそう、毎日。でもあれなんですよ、にんにくが入ってない餃子、生姜なんで、なんか別に昼まかないで食べてもそれは大丈夫。にんにくが入ってないっつうのがあって、やっぱり昼のね、サラリーマンとかもわりとそういう意味じゃ、お昼に来ていただく方も多かったですね。


__個人店での体験を存分にして。


 そうですね、やっぱり全部一から自分たちでやるっていうのは、もちろん大変な面もあるんですけど、面白さみたいなのも感じましたけどね。んでそれが大学3年の夏。大学3年の終わりが見えてくると、今度自分たちも就職活動しなきゃいけなくなってくるんで。で、これがまたいろいろあるんですけど、当時、出版社の編集者か新聞記者かになろうと思って。でまあ結論から言うと、結果的に新聞記者になっちゃうんですけど。で、カフェの常連さんで、それこそよく飲みに行ってたような人。その人がいつも店で一緒にお茶してる人がいたんですよね。その人が書泉グランデで働いてる書店員の人で、んで飲みに行ってるほうのおじさんと、そろそろなんか就職でしょうみたいな話になったときに、出版社か新聞社か考えてんですよねみたいなこと言ったら、いつも一緒に来てた書店のおじさんにその話をしてくれたんですよ。であるとき、その書店のおじさんから、なんか出版社行きたいんでしょ、新聞記者なりたいんでしょって。なんで知ってんだよと思ったんですけど(笑)。そうなんすよねってしたら、神保町にマスコミを就職で目指す人のための、作文の指導してる塾があって、友達が、知り合いがやってるから、行ってみないかみたいなことを言ってもらって、でそれで紹介してもらって、その神保町にある、今もあるんですけど、マスコミ塾に通うことになるんですよ。でまたそこが変なところで。今、そのスヰートポーヅも、カフェ、全部、すずらん通りだけで完結してるんですけど、そのマスコミ塾はちょっと離れてて、みずほ銀行の交差点、あっちのほうにあるんですよ。その書店員のおじさんと一緒に最初行って、紹介してもらって、そこのすずらん通りのカフェとスヰートポーヅで働いてて、ちょっと面倒見てやってくれやみたいな話になって、お願いしますって。そこは、元毎日新聞の記者の人が始めた塾で、もうそんときすでに80近かったかな、おじいちゃんがやってて。その人ともう一人は朝日新聞の、そんときはまだ現役で勤めてた人が、60近かったんですけど、その塾の一番弟子みたいな人とがやってて。ここが変わってるのが、ただ作文を、マスコミの採用試験って作文があるんですよその作文を指導するとこなんですけど。ただ作文を書いてその場でこう赤を入れて、ああだこうだ言って直されるっていうだけじゃなくて、そこでみんなでご飯を食べるんですよね。その塾長だったり、一番弟子の人が作ったり、自分たちとかで作って、冷蔵庫もキッチンもあって、冷蔵庫もほとんどビールしか入ってないんですけど、飲みながら作品書いて、でもうすでに飲んでる先生に見てもらって、お前こんなのだめだとか言って。


__ええ(笑)、学生は来てるんですか、そのあやしいところに。


 来てます。なんかね、本当になんだここはと思いましたよね最初開けたとき。


__みんな同じようなかんじで入ってくるんですか。


 一応なんかホームページがあるんですけど、大体誰かしらの紹介で来るっていう人が多くて、OB訪問とかするじゃないですか、そうするとそこのOBがそこ出身で、面倒見てるとこあるから行けばみたいなことを言って連れてこられるんだと思うんですけど。


__ご飯なんで出すんだろう。


 いやなんかもうね、とにかくその、金のない貧乏学生、マスコミに行きたいっていう志だけはある貧乏学生を食わせてあげたいっていう、始めた人の思い。と、やっぱ酒を飲んでとにかく議論をしてほしいというので、そのね、マスコミを目指す人なんで、それは当然世の中のことにそれなりに関心のある人たちが集まるんで、そうすると、ニュース見ながら酒飲みながらああでもない、こうでもないって、夜中までみんなへべれけになりながらやる。


__お家帰れないんじゃないですか。


 何回か逃して、1時間ぐらいかけて歩いて帰ったりとかしてました。


__歩いて帰れるんですね。そこのご飯、美味しかったものとかありますか。


 なんだろう、その日によって何人来るか分かんないんで、学生がふらっと訪れるんですよ。別に曜日決まってなくて、平日月から金の夕方から夜は大体空いてて誰かしらいるんですけど。元祖サブスクみたいなかんじで、もう別に何回来てもいい、1週間に何回来てもいいし、別に来なくてもいい、来たきゃ来ればみたいなかんじで、なんかめっちゃ今日人いっぱいいるなっていう日もあれば、なんか今日俺一人かみたいなもあったりとかして。来る学生の人数が分かんないんでご飯の量も作る側としてはやっぱ困るじゃないですか。だから大体、なんかカレーとか鍋とか、そんなもんが多かったんですけど。そこにたまにスヰートポーヅの餃子を焼いてもらったやつを包んでもらって、30個とか40個とか、バイト終わって持ってって、それをつまみながら作文書いてみたいな。


__3年生の終わりぐらい。


 そうそう、3年の冬ぐらいですね。


__いつぐらいまで行かれてたんですか。


 内定が出たのが、4年の5月か6月なんで、それぐらいまでは通ってました。でもそれもなんていうか、普通は内定出たら塾の役目は終わるんですけど、それがそうでもなくて、結構OBの、今現役で働いてる人がふらっと訪れるんです。なんで、内定してるしやることないけどただ飲みに行ったりとかご飯食べに行ったりとか。自分の1個下の代が入ってくると作文ちょっと見てあげたりとかして、宿り木というかちょっとこう休憩できる場所みたいなかんじで、内定したあともずっと関係が続いていくっていう、不思議なところです。さっきちょっと言った、11月に神保町行ったっていうのはそこの30周年の記念のパーティーがあって、それで行ったんです。


__30周年、すごいですね。あれだって、退職してから始められて。


 あ、そうそう退職でも、定年前になんか早期退職して始めたんですよね、確か。神保町の中で2回くらい引っ越してるんですけど、でもその最初に始めた方はね、去年、一昨年ちゃうな、いつだ。2、3年前に亡くなっちゃって、今はその一番弟子の人が引き継いでね、やってるんですけど。


__30年も経ったら、すごい、大所帯じゃないけど。


 そうですね、かれこれ30年、だから400人ぐらいを一応いろんな新聞だったりテレビだったり、広告会社だったりに送り込んでいるということになってるんですけど。そうですね、そこにも通ってたから、朝から晩までずっと神保町にいて、家には寝に帰るだけみたいな、そんな生活してました。


__じゃあ本当、大学より神保町のほうが思い出としては濃い。


 そうですね、大学のまわりも別になんか、もちろんそれはそれでいろいろありますけど、でもやっぱりなんか、神保町の周辺のほうがなんかいろいろ思い出深いかもしれないですね。


__元々本が好きだったところから、日本文学もされて、神保町、新聞までっていう。なんですか、どう好きだったかというか、うん。


 本が好きだった、でも中学、高校ぐらいからですかね、なんで本を好きになったのかが、もはや自分よく覚えてないぐらいなかんじですけど、わりと読んでましたね。その中でも結局、大学の卒論は夏目漱石で書いていて、日本文学の中でも近代文学を大学では専攻してたんですけど。そのなんていうかな、本の街、神保町で長い時間を過ごしたおかげでいろんな必要な本がすぐなんか手に入るっていう環境は、本当にありがたかったし。そうですね、だからよくバイトの休憩なんかに本屋さん行って、今日はシフト何時から何時だから時給はこれだけだから、今日はいくら分、何時間分、本買える。稼ぎに行ってんだか、金使いに行ってんだか分かんねえな、みたいなそんなかんじでした。でその、出版社か新聞社かっていう話になってて、両方受かってたんですけど、新聞記者のほうが泥臭くていいかなと。


__新聞的な興味もあったんですか。


 そうですね、なんていうかやっぱりその、東京で生まれ育って中学2年のときに震災、東日本大震災があって、東京なんでそんなに、なんていうかね、別に避難をしなきゃいけないとか、なんか津波が来るとかそういう話ではないですけど、やっぱ大きい災害を身近に感じて、でそんときにこう、テレビのニュース、あるいは新聞、家でとってた新聞とか見てて、やっぱり情報を、現場で取材をして情報を届けるっていう仕事。うん、それがこうなんかね、かっこよく見えちゃったんですね。で、その文学も好きなんで、それも例えば神保町だったら岩波さんとかああいう、立派な出版社もあるんですけど、出版社行くとどっちかっていうと編集者になるので、自分で書くというよりは、誰かしらに書いていただいたものを編集する、それももちろんすごいやりがいのあることだと思うんですよ。ただ、自分で書くっていうほうがいいかな、エディターよりライターのほうがいいなっていう、で新聞記者になっちゃいましたね。


__6月に、じゃあもうここに決めたって。卒業まで結構時間あります。卒論とかですかね。


 そうですね。でもむちゃくちゃ時間あったんで、神保町で遊んでました。時間あるからこそスヰートポーヅからカフェの閉店までっていう、ロングシフトにも入れる。カフェいかない日もスヰートポーヅ終わってからその、ペンの森って言うんですけどね、そのマスコミ塾がね、ペンの森に行って1杯飲んで、みたいな。


__素晴らしいルーティンが完成してる。


 本当に、家にいなかったですね。


__冬からの半年で、ぐっと培われるものなんですね。


 そうですね、なんかやっぱりのそこの指導の方針として、その小手先の作文、書く力はもうどうにでもなるんだけど、やっぱりその題材を考えるとかっていうのは、日頃からこう何か物事を考えてないとぱっと浮かばないので、それもあってその飲みながら議論するっていうのが一番役に立つんですよね。なんか相手の考えを聞きながら、自分の考えてることを言う。でそこでまた混ざってって、考えが磨かれていくっていう、その過程が。作文の形式がもうどうにでもなる。書く材料を見つけるっていうそういう意味では、ものすごく役に立ったと思います。


__元から人と議論するとかは抵抗がないっていうか。


 そうですね、そんなに。


__でもなんか別に喧嘩をしかけそうなかんじには見えない、言い方が変ですね、議論(笑)。なんて言うんですかね、ノリノリで人にふっかけたいみたいなかんじより、受け止めてくれそうなというか、話を聞いてくれそうな印象。


 そうね、わりと聞いて、聞いたうえで、聞いたくせに自分の主張を最後通すみたいな(笑)。


__おお、なかなかこう、なんて言うんですか、手練れなタイプですね。いや、いつの間にかいろんな人と仲良くなるのが不思議。


 これやっぱね、あれだと思うんですけどね、一人っ子なんでね、兄弟喧嘩がまずないじゃないすか、当たり前ですけど。兄弟喧嘩ないと、こっちからなんか自分で主張する場面ってそんなないんですよ、争わないんで。で、そうすると、なんだ、黙ってたほうが得なんですよね。


__なんだか心得がありそうですね(笑)。


 黙ってたほうが、なんか買ってくれたりするんですよね親とかね。これ欲しいあれ欲しいっていうとダメダメって、黙ってると向こうからなんか買う?とかって言ってくれる。


__さすがですね。いや一人っ子だと、人は人、私は私みたいに、ちょっと距離とかもある種できるような気もしますけど、そんなこともなく。聞いていて、そんなに主張をするかんじじゃないけど、いろんな人がいつの間にか周りにいたり、議論を交わすのも好きってなると、絶妙な塩梅です。受け止めつつ、お人よしすぎもせず。


 それで会社入って最初に支局に出されて、3年間いて、で大阪に一昨年から来たっていう。


__最初の所属先はいかがでしたか。


 いいとこだったんですけど、やっぱりこう3年間いたうちの後ろ2年がコロナ禍で、もうちょっとなんかこう出かけたりとかね、それこそ飲みに行ったりとかね、できればよかったなっていうふうに思いますよね。やっぱねこう、zoom、今もそうですけど、オンライン取材なんてね、それまでやったことなかったのに、同じ市内にいるのにオンライン取材になったりとか。車で5分ですよみたいなとこいるのに、いやオンラインで、そうっすかみたいな。そういう時代だった。 マスコミ塾にも、会社終わったうちのOBがふらっとよく来るんですわ。で、その人たちと、内定した後飲んで、うちに来るんだみたいな、まあまあまあ頑張りなよみたいな。


__記者さんになってその、足で稼ぐ感というか、楽しいですか。


 そうですね、取材の中身ついては大変なことももちろんありますけど、うん、でも、やっぱり物事が起きてる現場に行って、うん、自分で目で見てっていうのは、それはやっぱりね。テレビとか新聞、紙面通じて皆さん見ていただいてるのとちょっと感覚が。


__なるほど。じゃあ今は技術をどんどん培ってるんですね。


 スヰートポーヅの客席に新聞置いてあるんですけど、一般紙とスポーツ紙と。僕が新聞社に決まって、就職活動してる何ヶ月間は働いてなかったんですけど、会社決まって復帰します、ここに入りますって言ったら、その客席に置いてある新聞をね、わざわざその新聞社に切り替えてくれて。すごいありがたかったです。記事の末尾に書いた人間の署名が入ってると、見てくれてたらしいんです、どうも就職してから。僕が書いた記事が入ってると、なんかマメにチェックしていたらしいという。


__それはなんかじーんと来る。じゃあ1年目ぐらいで、コロナがきちゃうんですよね。


 僕が2019年の入社なんで、2020年。1年目終わるころにはもうコロナ。それこそダイヤモンドプリンセスが横浜港に、とか。


__新聞記者さんになって生活、変わりました?どんな生活でしょう、大忙し?


 忙しいのは忙しいですね。暇なのがむしろ世の中にとってはいいのかもしんないですけど、そうも言ってらんない。


__通常だったらこういう仕事をしていこうって計画があっても、何かが生じれば。


 まぁそうですね、担当によっては。なんていうか、やっぱり新聞もね、なかなかこう、部数も減ってるしっていうなかですけど、なんつうかね、紙の文化っていうの、神保町の商店街もそうですけど、なんかなくなっちゃうのは、寂しいなっていうかんじで。残ってってほしいなと思いますけどね。その、僕ら2019年の入社なんで、入社式の日に令和という新しい元号が発表されて。


__へー、あ、そんなときでしたっけ。


 その年の5月から令和になるっていうタイミングだったんで、平成最後の入社で、屋上で写真を撮るんですけど、報道のヘリが官邸の上をずっと飛んでるのがすごい印象になんか残ってます。


__コロナがだいぶ落ち着いたぐらいから今度は大阪。


 そうです。だから支局にいたときもコロナ禍だったんで、あんまり東京に帰るっちゅうこともなくて、だから本当に神保町、久しく行ってなくて、2、3年ぶりに行ったら、なんかもういろいろ変わってて、びっくりしましたね。だってキッチン南海がまだすずらん通りにあったんでね。てかスヰートポーヅの本当斜め向かいぐらいのとこにあった。本屋さんもやっぱちょっとずつ少なくなってってるような気もするし。


__スヰートポーヅがなくなるよっていうのは、いつごろ知ったんですか。


 あれは、何回目の緊急事態宣言なんだ、緊急事態宣言とかで閉めてたっていうところから、ちょっと復活できないっていう話になってきて、んで、そうですね。でもう閉めたっていうのを、昼の営業で一緒に働いてた主婦の人から聞いて、そうかと。せっかくこう、昭和の初めからあった店がね、なくなっちゃうのもったいないですね、寂しいですよね。


__私はコロナ後に東京に出てきて、いろいろ変わりきった後で見ちゃってるから、みんないろいろあったんだろうなって、それがなくなった後だもんなって。


 そうですね。だって岩波ホールもないし、三省堂はまあ建て替えだから別に潰れたわけじゃないけど。そうそう、壊す前の三省堂で、広辞苑の今一番新しい版、7版かな、が出たときに買いに行ったんですよ。そしたら、あれどこだったっけ、フジテレビの、取材を受けて、三省堂で取材を受けたことあります。新しい広辞苑買った感想とか聞かれて。今買ったばっかなんすけどみたいな。


__むこうもいたぞ!ってなったんでしょうね(笑)。


 ね、でかいの持ってんのが歩いてて。


__広辞苑の新しいのが欲しいっていう感覚があるんですか。


 そうそうそう、なんかやっぱ買おうと思って、やっぱねなかなか辞書引いていちいち調べる機会っていうのは減ってますけど、新聞もそうですけど、こう紙でぱって開いたときに、ついつい隣のほう読んじゃったりとかね、なんかそういうのはね、楽しみっていうかね。なんかいいじゃないですか。


__デジタルだとそこだけ、興味のあるとこだけになったりしますもんね。


 そういう意味では、その神保町のその本屋さん、リアルな書店っていうのはこう、この本欲しいなと思って言っても結局それじゃない本買ってきたりとか、結構あるんですよ。なんつうのかな、余白があるっちゅうか、それがやっぱ神保町の一番いいとこじゃないかなと思って。余白があって、なんとなく顔が分かる人たちがいて。神保町らしいかなってかんじします。


__神保町の生活史で話を聞くときに、個人店ももちろんなんですけど、チェーンとかで働いてる方にもお話が聞けたらいいなって思ってたんです。レイヤーが分かれてるのかなとか気になってたんですけど、混ざってる、入れ子になってるのが面白かったです。


 そうなんですよ。個人経営の喫茶店の人がチェーンのカフェに休憩に来るっていうのは、日常よくあることだし、逆に我々は個人経営のところに行くしね。


__そうやって交換しあってるっていうのが当たり前って、そうだよなって。聞けてよかった。


 なんつうかそのね、大きいビルのテナントの一角とかじゃなくて、路面に、すずらん通りに面してる店だったから、それもあるんでしょうね。人は入ってきやすいし。


__今までずっと東京にいて、違う土地にっていうのもなかなか新しいことですね。


 そうですね。大阪ももう3年目ですけど、なんか快適。


__快適ですか。人とかも土地土地で結構違いますよね。


 でも、なんかやっぱ自然とこう、なんていうかな、似たような街というか、その土地にある、なんか似たような店構えのところに入っちゃったりとかしますね。


__本屋さん、ご飯屋さん。


 そうそう。支局にいたときもそんなんで結局、何軒かこう古本屋さんとかカフェとか並んでる通りがあるんですけど、なんか店主と喋ってたりとかして、で、またそこで飲み行ったりとか。


__すごい(笑)さすが。


 結局何もなくてなんか退屈だなと思ってたけど、地元、商店街のある町で育ってるからそういう個人商店のおっちゃんおばちゃんたちとのつきあいとかね、そういうのは多分ベースにあるんでしょうね。


__地元のその住宅街のとこにも、そういう古い商店街みたいなのもあるようなところだったんですね。


 うん。大阪は天神橋筋商店街とか、近いんですけどやっぱなんか商店街、いいなと思います。


__なんか全然違う話かもしれないんですけど。神保町の古本屋さんが結構、なんて言うんだろうな。私古本屋さんは京都住んでたときは結構行ってたんですけど神保町、店が専門書っぽいから、どこに入っていいかちょっと分かんなかったりします。ちょっとびびって入れない店があったり、どうやって書店はこう開拓していったんですか。


 逆に専門に特化してるとこが多いんで、大学の勉強で必要な本はこことここに行けば多分あるだろうみたいな。


__ここはこれが強いはどうやって知るかんじですか。


 それはでも、あれですね、やっぱ最初は端から端まで歩いて、見て行くしかないんじゃないですかね。で、だんだんこう、端から端まで行くにしても、効率のいい歩き方ていうか、まず神保町の駅着いてどっちの出口出るとかから始まるんですけど。それで言うと、神保町の駅って真ん中にあるじゃないですか。だから神保町の駅から始まると効率悪いんですよ。御茶ノ水の駅から下ってって、端っこからスタートするのが一番いいんですよ。


__なるほど。


 だーって抜けてって、靖国神社の手前まで、九段の手前まで行って、で今度裏道に行って、そのすずらん通りとか桜通りの方をばーって見て、1周できるって。


__毎日歩いただけある。


 なんか、学士会館もなくなくなるというか、閉業するし、山の上ホテルも閉まっちゃってるしあの辺もうすごい変わってって、びっくりしますよね。


__私は来たと同時に変わるとなって、皆さんの話で行ってみたかったとこを知るかんじです。


 その一方で変わんないものはあるから、目印があっていいっすよね。昔の写真と比べてもここ変わってねえなっつう、本屋さんとかでも残ってると、比べられて。


__そうですね。なんか、いろんな関わりがいつの間にか増えてるのが不思議でした。年の差のいろんな人が当たり前にっていうのも、最近ちょっと少なくなりかけてるのかなっていうか。


 そうっすよね。別になんつうか、幅広い年の人と関わろうっていうふうに積極的に思ってるわけではないんですけど、結果そうなってるだけなんですけどね。


__そのかんじが。わざわざ力は入ってないけど、いつの間にかいろんなことが、すごいなって。


 そうなんです、力入ってないんですよ。だからあの神保町をふらふらするのがちょうどいいくらいの。


__あー、すばらしいですね。力を入れずにふらふらしよう。


 逆に力入れるとダメなんですよね。入れない方がいい。ちょっと話変わりますけど、その本探すにしても、古本祭りの1週間ぐらいの間で神保町に行って本を探すと、この期間だからなんか探さなきゃって思っちゃうと、逆になんかなんか見つかんないんすよ。見つかんなかったり、なんか買ってからちょっと違うなって思うことあるんですけど、何にもやってない普段の神保町で気負わずに、今日は何を買うとか考えずに行くと、いい本との出会いがある。


__読書とかでも、こっから先どう広げていいのかなとか、あれ読んでみたこれ読んでみた、でどう自分で繋げていくのかというか、たまに迷子になるというか、培われてるんだろうかみたいになって、なんか私の相談みたいになってんですけど、どんなふうに繋がってきたのかなと思って。


 大学入る前のね、普通に読んでるときはやっぱり、でもなんていうんですか、例えば漱石読んだら、漱石の弟子の芥川を読むとか、芥川を読んだら芥川の影響を受けた太宰を読むとか、なんかそうやって、数珠繋ぎでやってくのが多いかも。


__全然違う寄り道とかもしますか。


 しますします。たまにちょっとその古典をね、近代だけじゃなくて読んだり。


__大阪は古本屋さんありますか。


 結構ありますね。なんだかんだ言っても、それこそその天神橋筋にもある、いいですよそれこそなんか明治時代からやってるような、なんか古い店があってたまに行ってます。


__新しい土地だと新しいお散歩のコースっていうかまた家の近所から始めるかんじですかね。


 そうですね。家の近所から始めて、どう一周するかを考えるんですよね(笑)。同じ道行って帰ってくるんじゃ、なんかね。面白くないじゃないですか。どっちかっていうとこ、ぐるっと回ってったほうがね。


__ふらふらするのもコツがいるんですね。スヰートポーヅは語り継ぎたいことというか、せっかくなのでありますか。


 いや本当になんていうか、まぁむしろよくここまで生き残ったっていうぐらいのかんじだった。一応3代続いたっていうことになってるみたいですけどね。


__ほんと、古いお店って、長くいるのが不思議だけど、きっといつまでもいてくれるだろうって期待しちゃったりとかして。


 どんどん変わってくんでね、まあ神保町だけじゃないんですけどね、変わってくるのは。もうびっくりしちゃいます。なんか自分が行った大学4年間での変化のスピードよりも早いスピードで変わっていってるような気がしますね。あ、これ、見たことあります?


__ないです。


 これなんかね、神保町の、風景画集っていうか。これが昔の三省堂。


__いいサイズ、絵がぱっと入る、ちょっと大きめで、すごい量ですねページ数。最近の本ですか。


 これはいや、2016年なんで。まだねもちろんコロナ前だし、三省堂とか、岩波ホールとかね、写真じゃなくてイラストなんですけど、でもこれ面白いですよ。これいいっすよ。


__いい時期ですね、探してみます。ありがとうございます。神保町好きが伝わります。


 けっこう、神保町に関する本もいっぱい世の中にあるじゃないですか。で、たまに、ね、雑誌とか見てても、ここは変わらずにあるのね、ここは引っ越したのねとか、情報収集をしてますね。


聞き手:水上ミサキ

 
 
 

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